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茨城>茨城だっぺ>茨城県南の人口増加の裏側、昔と今(2007/08/08)

茨城県南の人口増加の裏側、昔と今

茨城だっぺ


赤土のつくばと言われたつくば市が「つくば研究学園都市」として教科書に載った。
茨城県南をフラフラしていると、「昔は、ここなんだっけ?」と思い返すことが多くなっています。
参考:当時の写真は「50年前の茨城を空中写真で」で紹介しました。

そんな茨城県いいことばかりでは、なかった。

茨城県南の人口増加の裏側、昔と今


おみたこの住んでいる地区では、夏の行事が消えた。
  1. 当時は、この行事のことを「のうらっせ」と呼んでた。
  2. のうらっせとは
    8月13日の迎え盆の晩,盆綱を子ども達が持ち,お墓まで仏様を迎えに行くのです。
    お墓では地蔵のまわりを回りながら「仏様のうらっせ,のうらっせ」と声をかけ,道に出ると「仏様ごうざった,ごうざった」と歩きます。
    各家に着くと,「仏様ごうざっせ,ごうざっせ」と声をかけ,庭にはいると「仏様おりら っせ ,おりらっせ」と仏様を届けます。
    土浦の里山さんの盆綱より引用
    土浦市では、紹介されている地区しかやっていないそうだ。
    うちの地区だと、地元有力者による参加条件というものがあって、分家は、駄目で、本家の人のみ。もちろん、越してきた人は参加できない。
  3. 夏の盆踊り大会がなくなった。

  4. 盆踊り大会のお知らせは、越してきた人には、届かない
    この盆踊り大会だけど、小学校で毎晩のように盆踊り大会に向けた練習があった。行くと参加賞なのか知らないけど、「アイス」がもらえたので、よく参加したのを覚えてる。
    また、この盆踊り大会は、小学校の校庭を貸しきるので、規模的には大きいものだった。

茨城県南の人口増加の裏側、昔と今 まとめ

語弊があるかもしれないけど、今思えば、先住民と移民の小さな争いだったのかもしれない。
人口が減ったのが理由と思うかもしれないけど、自分が通っていたときより、小学生、中学生は増えている。空き教室がないという噂も。
ちなみに、行政から発表された地区(行政区分)別人口増加数だとトップ3入り。
原因は、原住民の子供は、大きくなると都会へ行く。都会から田舎に越してくる人は、子供がいる。もしくは、既にいるから。

この地区で、減ったのは、時代に似合わず高齢者人口と、地区全体の高齢者の比率だ。
いずれは、消防団員が不足ともなるでしょうし、越してきた人と仲良くしてもらいたいものです。

越してきた人と交流できる機会をなくさないで欲しいな。


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